革エプロンおやじ

おやじのポケットの中身を紹介していこう!

皆さん、こんにちは。革エプロンおやじです。

還暦を迎えたおやじのポケットの中身を紹介して行きます

男性目線からの生活の楽しみ方になりますが、女性ブロガーも歓迎です。

システム手帳の作成

浅草橋の革教室に行っている中で作ったものの紹介です。

バイブルサイズのシステム手帳を作りました。

バインダーの金具は市販品です。

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バイブルサイズのシステム手帳

やや大きくて使い難いかなと心配していましたが、カレンダーを書くにはこのサイズば便利だし、手に取ると革の質感が心地良いです。

バンド部はラウンドにした革の心材が入っています。

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中に既に用紙等を入れて使っています。

栞を付けると良いかなと思って、同色の麻糸をリング部に取り付けてみました。

革の方が良いかなと思いましたが、栞を挟んだ部分がどうしても嵩張り過ぎるので便利

これが便利かなと付けてみました。目的ページをスピーディに開けるし、便利に使っています。

右のファイル穴を開けた革ページを作ってみました。

システムファイルなので、印刷物に直接穴を開けてファイルすると便利だと思っていました。

でも、6穴のパンチは文房具屋で5000円以上していました。それならば、穴位置と紙サイズを確認できる型紙があれば、いつでも紙の切断、穴あけができるように革で型紙を作ってみました。まだ、その用途はないのですが、これもファイリングしています。

以前にashfordのこれより小さめのシステム手帳を使かった事があります。

それに比べて質感、サイズも満足していますし、便利に使っていければと思います。

我が家の庭の変身した植物の風景

この温かい陽気に誘われて久しぶりにジョギングに出た。

ソメイヨシノの時期はもちろん過ぎたが、八重桜が見事な時期だ。

加えて川沿いに菜の花の黄色の花が一面に広がっている。

ジョギングにはスマホは持参しないので我が家の庭をパチリ。

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庭の春の風景

見事な菜の花ではあるが、これは昨年に大根とカブを沢山もらった時に保存の為に土を被せて保存したカブたちのその後の成長の姿。実際には、大根は掘り返して食べたし、

保存に回らない大根は大根ツリーから沢庵に変身したものだ。

アブラナ科にはアブラナ(菜の花)はもちろんだがカブ、大根、白菜もこれに含まれているのですね。よって、カブ由来でもここまでくると菜の花としか見えない。もうここまで来ると菜の花としてもカブとしても食する時期を過ぎている。

その奥に見えるのがフキノトウのその後として白い花が10~20cmに成長。

加えてフキが丸い葉を広げて元気に育っている。

フキは、一つの株から花部分のフキノトウと葉柄が別に育つ珍しい植物のようです。

よって、フキノトウの花をつけた後に、フキとしての茎を食べる部分が別の部分から育つのです。現状の写真ではそれらが共存しています。

商品として一時しか見ていないと分からないものが、通してみていると不思議な事が起きていています。

そうすると、本日のジョギングで見た菜の花達の正体は何なんだろうと思う。

千鳥ヶ淵のソメイヨシノ風景の今後

この日は日比谷で18時に夕食を食べることが決まっていた。

よって早めに出て桜見物をしようという事で、JR四谷駅を下車して、外堀の土手を飯田橋に向かって歩くことにした。

桜が咲いている土手を歩くと暖かい日差しの中で気持ちの良い日だった。その中で小勢でお弁当を囲みながら食事している人たちがぽつりぽつりいる感じ。寒さの気候の中で偶然にこの時期まで生き延びた桜と好天に恵まれた人たちだけが特権のようにゆっくり楽しめる日であった。いずれも大宴会の様相はなく。時々通過する総武線と中央線が桜と共に見て楽しい。

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四谷の土手

それを受けて、市谷の当たりでスペイン料理屋があったはずという事で探し、意外と早い昼食となった。価格も手ごろで改めてもう一度使って見たいお店でした。大使館のアシストを受けている建物のようでした。

さて、ここから近いのは千鳥ヶ淵という事になり、歩いて向かう。途中、一番町の裏通りなど歩くと昔ながらのお屋敷を残す不思議なエリアであった。

このルートから大妻高校前を通過すると、千鳥ヶ淵の途中から入る事になる。四谷近辺も人はまばらなよりは人は多いが、ゆっくり写真が撮れるほどで、むしろ気楽でよかった。

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千鳥ヶ淵ソメイヨシノ

流石に皇居のお堀にせり出す桜は天下一品。風情がある。でもこの辺りでいろいろ見ていると心配になって来る。それが今回の本題。それぞれ木が大きく立派なのは確かであるが、一本の木でも満開の枝があれば、花も葉も何も付けていない枝も結構見受けられる。もう既に生を成していないように見える。木の太い幹に大きな空洞があり木全体に勢いを失っているものも見える。そう思ってみると皇居側の斜面に大きな桜が生えているが、50cm位の高さで伐採されているものもある。

ここで調べてみるとソメイヨシノの寿命は60年くらいという。千鳥ヶ淵に桜が整備されたのは、近くにある千鳥ヶ淵戦没者慰墓苑ができた頃という事だ。それは昭和34年だ。という事は今年で60年になる。なるほどソメイヨシノの寿命とちょうど一致するわけだ。それを思うと東京の桜の名勝の千鳥ヶ淵の桜とは言え、その寿命には打ち勝てないという事になる。

元号は変わろうしている時期に、今の様子を見るとあと数年すれば、例えば令和5年から10年ころには古木の多い光景から若い桜に置き換わっていくかもしれし、もうここが桜の名勝と呼べない事態になっていないかもしれない。昭和から平成の世までは継承された光景を見てきたが、令和になって光景が変わるかもしれない。この認識を得た上で、これからのこの場所の変化を今後ともここに来て自ら確認しきたいなと思う。

その後、田安門から北の丸公園に入っていった。ここからは反対側からの眺めになる。

ふと田安門の周囲にタンポポが咲いているのを見た。よく見ると西洋タンポポでなく、ここで見たのはどれも日本タンポポであった。前にも書いたことがあるが、タンポポの花の下のガクが花に沿うように上に伸び、茎の方に反り返るひげがないものだ。

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日本タンポポでしょ

これが観察されたのは田安門の橋の欄干の外側であり、人の踏み入る事ができないエリアである。そこに手を延ばして取った写真である。皇居でこういう場所には日本タンポポが自生し、西洋タンポポが見えない光景にとてもうれしくなった。

これが、北の丸公園内の人が入れるエリアになると西洋タンポポしか今回見る事ができなかった。

その後、日本公文書館に行った。

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小渕さんの平成文字

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令和記載の万葉集

ここには、平成になった時に小渕官房長官が持った平成の書の原本が置かれていました。

それと今回の令和のもとになった万葉集(左のページの2行名)も置かれていた。

私だけではなく、多くの人が結構写真を撮っていました。

ここから皇居内を大手門を抜け、18時に日比谷まで行きました。その頃はもうへトヘトでした。よく歩いた。

四ツ木から目白までの散策

用事があって京成線の四ツ木まで行った。

この駅がキャプテン翼一色になっていると聞いたが、ホームから改札まで、正にその通りの印象だ。原作者の高橋陽一がここの出身という事のようだ。

イニエスタも一度来て祝福したという事であったが、本人のサイン入りのユニホームなども置いてあった。

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四ツ木駅ホーム

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イニエスタのユニホーム

この駅から歩いて堀切菖蒲園及び京成線の堀切菖蒲園駅に向かった。

町屋で降りて、都電荒川線沿線の様子を伺いつつ、桜散策をするのが目的であった。

今はこれを東京さくらトラムというハイカラな名前がついている。

三ノ輪橋から早稲田まで都内で唯一路面を走る電車である。

町屋からまずスタートの三ノ輪を目指した。その間、5駅。

車窓左側にレンガ造りの大きな建物が見える。古い建物でしっかりしている。

これが旧三河島汚水処分場である。

東京の汚水問題に意識があったのが、明治初め。岩倉使節団がイギリスに下水道視察に行ったことから始まり、そこからバートンという技術者を連れてきた。それを東大教授が引き継いで大正11年にここが完成。日本で一番古い汚水処理システム。このレンガ造りの建物を含め国の重要文化財という事だ。要するに富岡製糸工場と同時期の企画という事になる。都電に乗って外観を見ただけだが、中の見学もできるようで次回は是非見学に行きたいと思いました。こんなところに、歴史的建造物があろうとは。

今でもここの処理場は稼働しており、新宿区、千代田区を含めたエリアの下水処理を担っており、処理後は隅田川に流しているという。

とは言え、私が昔育った向島エリアから見た隅田川は汚かった。その象徴が、お化け煙突と当時言われていた南千住にあった千住火力発電所だ。この前は、蔵前に在ったものがこの地に来た。石炭を利用していた4本の煙突が立っていて、見る方向によって煙突の本数が異なる事からお化け煙突と呼ばれていて黙々と黒い煙を吐いていた。大正15年スタートで昭和39年まで稼働しだ。私も車で近くを通った時の事を朧気ながら覚えている。その後豊洲重油炊きのものができ、役割を終えている。恐らく、地下水など築地から移動する時に問題の原因だと思われる。

だいぶ話がずれた。三ノ輪橋駅の商店街は大変ディープな昭和の香りを未だに残っている町だ。これだけのところはなかなか残っていない。面白い。漬物屋に沢庵が樽の中に入って売られていた。昨年の9月に取れた大根だという。家で作ったものと比べ、糠床がずいぶん乾いている。再考の必要を感じた。

商店街をしばらく歩くと三ノ輪橋駅から既に次の駅まで歩いてしまった。そこから都電にのる。やはり沿線で有名なのは飛鳥山公園徳川吉宗が桜の名勝の公園を作りたいという意向で作った公園。多くの人が出ていたが都電の越しに見た。

降りたのは面影橋。早稲田の一つ前。神田川の両岸から川面に向かって覆うように見事な桜を見る事ができる。

 

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面影橋から神田川

住宅街の川そのものなので、お好み焼の屋台があるわけではなく、宴会をやるわけでもなく、桜を見るだけに散策しているのが、落ち着いた雰囲気があって良い。きれいだ。

ここから歩いて学習院のキャンパスを通り抜けて目白駅まででた。

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学習院の馬場

写真は途中で見える馬場。山の手線内に残る唯一なのかもしれない。この馬場の周りも樹木で鬱蒼とした森が残っている。素晴らしい。校章の通り桜も素晴らしい。

その後、目白から山の手線に乗って新宿に出た。

都内の桜散策に方々行った。桜見物の人も多いが、トランクをガラガラと引っ張りながら歩く人をずいぶん見た。山の手線も、中央線も結構混んでいた。明日が4月1日であり、そのスタートを切るための出発地に移動している人のように見えた。新しい元号にもなる訳で、町中の人が動いているのを感じる日だった。

桜開花から寒い日が続いているので、桜がフレッシュマンを迎えてくれる入社式であり、入学式になるのであろう。

ダークグリーン革でのポシェットの進化

この革を用いたバッグを2度ほど紹介してきた。

ダークグリーン色が、かなり深い色で地味に見える。

結構落ち着いた色であるので、何やら主張が弱く、本来はカチッとしたものが似合うのかかもしれない。

先回のポシェットは、床面を縫って裏返している。よって縫い目は外から見えない。かぶせの縫い糸は革と同色のグリーンを使用した。つまりステッチは目立たない。その為、金具は映えるのはわかる。

そこで、今回は趣をかえる事にチャレンジした。

 

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進化版ポショット

ダークな革へのアクセントがステッチと金具の黄色系とセットにすることでついた。

マチも上部を細めてみた。

緑と黄いろの組み合わせは、ブラジル国旗にも見る良い組み合わせ色だろう。

縫っている途中では、黄色が目立ちすぎるなと思っていたが、全体像が見えるとよかったかなと思える。

今回は私の使用を考慮して作ったが、どちらかといえば女性用に見えてしまうかな。

女房は、もっとかぶせにアクセサリーでも付けるのもどうかねという。そうしたら猶更私の手元から離れてしまう。

私のもう一つのコンセプトは、斜め掛けしたまま、シートベルトをして車を楽に運転できるものが欲しかった。その時に邪魔にならないサイズ、ボリュームであることが前提。従ってポケットに入らない必要最小限のものがバッグに入れば十分と思う。

そんな事を思いつつ様々なシチュエーションにまずは使ってみようと思う。

 

北斎展巡りから周辺を追う

六本木で行われていた新北斎展が日曜までという情報を基に是非行こうと思い立った。

そうしたら、両国にあるすみだ北斎美術館もあるという事になり、双方に行くことになった。

その前に浅草橋でカバン金具の購入及び昼食を取り、活動を開始した。

昔の花街だった事を語る芸鼓組合が担うお稲荷様、屋形船のベース基地になっていることや未だに料亭の趣のあるお店などに名残を感じる事ができる。だが既に花街の機能はないと聞いている。

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柳橋のお稲荷様

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そこから、隅田川にかかる両国橋を渡って墨田区になる。

両国橋を渡ったところに回向院がある。お寺です。明暦の大火(1657年)に江戸が大きく焼けた後に10万人の死傷者を弔うためにできたお寺です。その後は何でも受け入れるお寺として、水子や動物も扱うお寺になっています。もちろん今のペットブームでの利用もあるようです。

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回向院

他には大相撲の発祥の地(1768年)であり力塚と書いた大きな石碑がある。それがもとでこの地にできた日大講堂、蔵前にできた旧国技館、今の両国国技館へと引き継がれていく。

他にあるのが鼠小僧治郎吉(1797~1832年)の墓がある。いわゆる泥棒であったが、金持ちから巻き上げた金銭を貧しい人に恵んでやったという逸話のある人だ。

よって、その墓石を石でくすって財布に入れるとお金がたまるという逸話が残っていて、今でも続いていて、説明書きがある。これを無視するわけにもいかずゴシゴシしてきて、粉をいただいて来た。

そこからしばらく歩くと北斎美術館に着く。特に並ぶ事もなく入れる。隅田川両岸景色図巻が素晴らしい。両国から吉原までの川の風景を描いたものだ。

この後、両国駅から大江戸線で六本木まで行く。新北斎展は森アーツギャラリーで行われている。混んでいる。入場までに70分かかると係員に説明を受ける。チケット購入までに40分、入場までに30分かかるという。でも、ここまで来たのだから並ぶしかない。

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黒い方が招待券

チケット列に並び初めると女性から声がかかり、招待券が2枚余っているのでもらってくれませんかと、信じられない話。購入しますよといったが差しあげますという事に。何という幸運なんだという思いで頂戴した。早速、鼠小僧治郎吉のご利益があったのかなと思ってしまった。これで40分を節約だ。その後入場までも10~15分ほどで通過する事が出来た。

北斎展に関してはテレビでも十分に取り上げられているので、既にご存知の方も多いだろう。構図や浮世絵の色合いなど葛飾北斎は正に天才といえる。この展示会での出品数は圧倒的であり、90歳まで生きたという事で作家人生は長かった事を考慮しても素晴らしい。晩年の富士山から黒い雲に交じって竜が天に上る事で自分を描いたものは素晴らしいに尽きる。アメリカにもヨーロッパの画家達が収集し影響を受けた事も合点がいく。日本の絵画界の実力派分からないが、キャプテン翼を小さい時に読んでサッカーに興味を持ったというプロサッカー選手が世界にあまたいるのと通じるものを感じる。

本日のルートから葛飾北斎(1760~1849年)の時代に興味を持った。

この年代は、鼠小僧治郎吉(1797~1832年)と同じ時代を過ごしたといえる。江戸時代(1603~1868年)を考えると明暦の大火(1657年)は江戸初期の出来事であり、この大火を持って江戸市民を大川の向こうにも逃げれるようにしようと作ったのが両国橋(1659年)であり、浅草吉原に遊郭が移転してきたのもその時期だ。

柳橋に花街ができて芸鼓がいたのが1804~1817年頃からであり、1859年にはかなりの華やかさがあったようだ。この時期が北斎、治郎吉とも年代的には重なる。

もちろん北斎には浅草吉原、花魁、両国橋、美人画も登場して様々な背景と重なってくる。

今回、すみだ北斎美術館に行くだけなら総武線で両国まで行けばよかったが、浅草橋からのスタートになった。これによって柳橋⇒両国橋⇒回向院を経る中で明暦の大火から始まる一連の出来事をレビューすることができた。何と粋な事ではないか。

啓蟄を過ぎた田んぼの活気

3月6日が啓蟄という。春分を控えその前が啓蟄

冬ごもりをしていた虫がこの時期になると這い出して来るようだ。

既に4日を過ぎているがいつもながらジョギングに出た。

先週までは干からびた田んぼ跡の光景しか見えなかったが、

本日はトラクターに乗って田んぼを耕している様子があった。

暖かくなった陽気に誘われて田んぼでも活動が始まるのだなと感じた。

加えてそのトラクターの周りにはカラスが30羽あまりが耕される田んぼに立ち、群れを成している。そんな光景は見た事なく、何をしているのだろうと気になった。

啓蟄なので虫が活動をしだす。カラス群は出てくる虫群を待つのではなく、掘り起こされた土から虫たちが出てくるのを狙っていたように思えた。確かにそこからの方が容易に虫を見つけられるのを分かっている。

先日テレビでカラスが水飲み場の蛇口をひねって水を飲む様子をやっていた。確かに賢くなったカラスの光景を捕らえたものだ。

確かに今年はカラスが多く、家の周辺でもカーカーとうるさい。奴らにとっても生存競争が激しくなるのは当然だろう。今回のカラス群もその一種で人間様の作業を利用して餌に有り付こうという魂胆なのではないだろうか。

とすれば人間様はカラスにこき使われているという構図だ。

啓蟄とは言え、恐ろしい事だ。