革エプロンおやじ

おやじのポケットの中身を紹介していこう!

皆さん、こんにちは。革エプロンおやじです。

還暦を迎えたおやじのポケットの中身を紹介して行きます

男性目線からの生活の楽しみ方になりますが、女性ブロガーも歓迎です。

久しぶりの三社祭りとお楽しみ

家で三社祭に行きたいという話になり、行くことになった。

日曜日は家にいる必要があったので、土曜日にいった。

改めて日程を確認した。

金曜日 綺麗どころの行列

土曜日 町内神輿の連合渡行to浅草神社

日曜日 宮出し6時で浅草神社の宮神輿3基の各町会をリレー渡行して、宮入り20時

確かにこのメニューを毎年行うのはやはり並大抵ではないな思った。

私の生まれはこの隅田川の向こうであるが、この規模の祭りは5年ごとだ。

三社祭りは凄いな。

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まずはこの3基が浅草神社の宮神輿です。これは日曜日の活躍なので今回はこの写真どまり。浅草神社浅草寺の隣の神社です。

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浅草寺の裏側に町内神輿が100基ほど整列し、昼頃から浅草神社へ順番に渡行する。

その時に階段の上に立っている長老が並んでいる神輿に対して出発の合図をマイクから流しスタートする。これまで表側しか見たことがなかったので、結構壮観です。

並んだ神輿の中で一番大きいのが浅草3北の神輿。そしてこれが最後の神輿という事だった。浅草3丁目は、浅草寺の北側の言問い通りを渡ったところの最も近隣の町内のようだ。

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これが、浅草神社を経て浅草寺前での神輿をさした状態の写真。担ぎ手の取ってのご挨拶で、一番敬意の高い状態で、盛り上がり時だ。

ただ、この神輿が出るまで1時間以上あるだろうという事で、休憩をしに神谷バーに行った。場所は浅草1丁目1番地1号という場所だ。バーと言ってもまあ今でいうビアホール。ビールや洋食がうまいところだ。街中は混んでいたので、入れないかなと心配していたが、二人と少人数な事もあり、一人の人に席を一つ移動してもらい、難なく着席。お店の人は着席に関しては特に協力をしてくれないので見つかればラッキーという事になる。今時こんなシステムがあるんだといわれたが、昔からそうかもしれない。

ビール、から揚げ、電気ブランを食す。電気ブランはまあリキュールでしょうか。小説にもしばし登場するこの店の名物だ。270円という価格がまた良い。ここで1時間ほど休憩して浅草寺境内に再び参戦した。

これを見ると、もうこの日の神輿は終了。

ちょっと歩くが駒形どぜうに行くことにした。ちょっと離れているが、もくもくと歩いた。混んでいるかなと思いきや、店内は半分程度しか入っていない。

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1階が大広間のようになっていて、靴を脱いで上にあがる。その時に木札を渡される。

5cm位の板がテーブルを挟んでここで食べる。なんと古風な店だ。

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七輪の上にドジョウが入った鍋がくるので、ここにネギを山ほど載せて食する。

ふたりで、鍋2枚、柳川1枚、燗酒2本。まあ昭和を味わう感じだ。木札を渡してテーブルでお勘定を済ませると再び木札が渡された。裏には代済みとあり、下足番の人が安心して靴を並べてくれる。いいシステムだね。

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三社祭の日にこの2件のお店に行けるとは思ってもみなかった。よって大満足です。

これだけの祭りの担ぎ手は全国から集まってきているはずです。逆に町内の担ぎ手はどれくらいいるのかなと思う。実際に神輿は担ぎ手がフルに入る人数の他に取り巻きが同数からその2倍いないと担ぎ通せない。どの町内もそんな人数はいない感じがした。そうした担ぎ手が維持できないと、三社祭ですら今後維持できるのか心配です。その内、海外からの観光客の力を借りてなんて構想が出てくるかもしれない。

 

バスケットボールの購入

先週末にバスケットボールのBリーグのファイナルゲームが行われていた。

アルバルク東京が勝利した。最近のバスケットはとても面白くなったし、とても接戦の決勝戦にこちらも熱くなった。でも、このスポーツはプロゲームを見るのと自分で行うのとでは格段の差を感じるスポーツだ。このゲームを機に人気も上がる事が容易に想像される。

ジョギングをやっているのはこのブログでも様々書いてきた。多くはそこで見た光景だったかもしれない。ジョギングなんぞは、傍から見ると何が面白いのだろうと思う輩も多いかもしれない。でも、そこで考えているのは、このまま走っていけるかどうか。はしるのも止まるもその時の自由なので、そのまま走る意義を見つけながら走っている。その中で、へーなんだろうと思うと、ペースダウン又は止まる理由がそこにできる。所詮、私のジョギングなんてそんなものだ。大方、行きは何やらもやもやしたものを持ちながら走っていて、折り返し点を過ぎると、あとは戻るだけだと比較的気安く帰る事ができる。

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そういう自分の考えから本位でないものも良いかなと思ってバスケットボールを買ってみた。中学、高校までは経験はあるが、その後はとんとご無沙汰である。体力に物言わすスポーツなので、今更何ができると思うが、2月の久しぶりのスキーに気を良くして、こんなバスケも良いかなと思い、購入してみた。

近くに屋外の3x3のバスケットコートがあるので、購入後そこに行ってみた。ボールは手に付くものの、シュートを打っても飛ばない。修正して偶に入る程度。なかなかうまくいかない。でもやっていると面白いねと思いつつ、30分くらい実施。しばらくするとこれら2本、両手で4本の指が筋肉痛。普段使わない薬指、小指を使ってボールを持っていてるのがわかる。逆に今はこういう事が大切なのかなと思う。昔はこんな思いをした事がなかったのにと改めて実感。もちろん、ジャンプするなんて、ひざに負担がかかり、なかなかできない、ほぼできない。30分で汗だくの中で車で家に戻る。冷蔵庫のドリンクが思わずうまい。風呂の後のビールは格段にうまかった。

久々の体験で、ボールと10本の指のタッチが重要であり、ボールに翻弄されているのもよくわかる。ボール自身が主体であり、ジョギングとは全く異なる。写真の横に移っているのが、2kgのゴムボール。これは従来から持っていたもの。これを握りながら上に投げたり、バランスの重しに使ったりしている。改めてやってみると小指なんてほとんど使っていない。だから、今バスケットボールを両手でハンドリングしているだけで筋肉痛なんだと再認識。

今後、この話題でここに書く機会があるか分からないが、新たなチャレンジをしてみようと思う。

 

コイの季節

天気が良く温かいのでジョギングに出ました。

途中、川べりを走ると、川の方からバチャバチャと音がする。

えッと思って川を見ると、3~4匹の鯉が、川の中に育つ40cm程の水草の中を出たり、入ったりしている。何が起きているかとしばらく足を止めて見入ってしまった。その間で、それぞれの鯉がお互いの体を擦り合わせるようなしぐさだったり、飛び跳ねたり、その音がバチャバチャと激しい。また、ある時には水草の奥の方に入り込みしばらく出てこない。

この静と動の動きの、正しくコイの季節であり、人生をかけたイベントだ。

一方で、人間様はそのようなイベントとは縁遠くなる傾向にあるという記事も最近目にする。

最近の人間様には、晴れた日には川べりを散歩する事を楽しみ、その中で自然の営みに遭遇することで学習することも必要なのかもしれない。

この直前に私を追い越していったランナーは、ここで足を止める事はなかったが。

 

日曜日の日経新聞

日経新聞を購読している。

日経新聞はウィークデイは、株式など経済情報が多く掲載された新聞であるが、

日曜日となると、経済関連情報は去り、趣を変える。

その中で、「美の粋」という記事が、二つ折りの中央の2ページ、つまり全紙で掲載される。下の写真は本日のもの。床に広げて撮影。

 

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ここに興味ある記事が多い。紙面が大きいために絵画や彫刻の大きな写真がいくつか掲載され、それらを説明する記事がかなり深く説明される。同じ題名で視点を変えた記事が3週間程度続く。つまり、3回。あまり、こんな分野に馴染みなくとも、作者や作品への詳しい解説が分かり易い。

特に良い記事と感じたものを、トイレの壁に貼って楽しんでいる。今はダブルクリップ2つで壁に固定したねじに吊るしている。青木繁の海の幸やダビンチのモナリザ、浮世絵シリーズなど、良いものが登場する。こんな場所がちょっとした世界の美術館に変身する。名残惜しい記事は、次を重ねるのに躊躇し、何週間も眺める事になる。でも、次の興味あるものが出てくると壁の記事はリニューアルされる。

ここ1年くらいか、日曜版の内側ページの紙質が白色化して写真がきれいに印刷されるので、この美の粋の記事写真が一層豊かになっている。

一年も経つとチョイス版も15枚ほどになり随分厚くなる。大掃除の頃にはそれらを見て1年間を振り返り、古紙回収行きになる。

美の粋シリーズがここまで有難く扱われるのは日経新聞にしても本望なのでないかと思っている。

家族は、この記事の下の海外ツアー案内にむしろ思いを巡らしているようではあるが。

日曜日の日経新聞

日経新聞を購読している。一時電子版というのも試みたが今は紙版がよい。

日経新聞はウィークデイは、株式など経済情報が多く掲載された新聞であるが、

日曜日となると、経済関連情報は去り、趣を変える。

その中で、「美の粋」という記事が、二つ折りの中央の2ページ、つまり全紙で掲載される。下の写真は本日のもの。

 

これが面白い。

例えば紙面が大きいために絵画や彫刻の大きな写真がいくつか掲載され、それらを説明する記事がかなり深く説明される。同じ題名で視点を変えた記事が3週間程度続く。つまり、3回。

それをトイレの壁に貼って事ある毎に見て楽しんでいる。もちろん、今回は面白いというもののみである。今はダブルクリップ2つで壁に固定したねじに吊るしている。ほぼ1年間で15~20枚だろうか。暮れごろになると結構厚くなる。

青木繁の海の幸やダビンチのモナリザ、浮世絵シリーズなど、良いものが登場すると名残惜しく、しばらく次のを重ねるのに躊躇し、何週間も眺める事になる。

新聞の宿命として日々葬られる運命にあるが、このシリーズはちょっと異なる。でも、次の興味あるものが出てくると紙面が重ねられバイバイとなる。もどる事はしない。

この紙面の下は、決まって旅行会社の記事になる。我が家で上の記事は話題にならないが、マチュピチュ観光の広告が出ていたと話題になる事も多い。それも面白い。

また、我が家にはパン教室に小学生が来るので、欧米系の女性の胸が描かれた油絵は掲載してはダメだと娘がいう。日経新聞に掲載される有名画家の立派な芸術だから良いかなと思って貼っていたが、その意見が出た後は配慮するようになった。

加えて、ここ1年くらいか、日曜版の内側の方のページの紙質が向上し、写真がきれいに印刷されるので、この美の粋の記事写真が豊かになっている。

一年も経つと良かった記事が多く集まる事になり、それらを一通り見てこれまでを振り返るのも面白いが、それらもバイバイに。

でも、美の粋シリーズがここまで有難く扱われるのは日経新聞にしても本望なのでないかと思っている。

東京国立博物館を含む東京散歩

東京散歩に出かけた。

当初は車が便利かなと思っていたが、連休の渋滞を気にして電車で行くことに。

まずは、合羽橋商店街に。ネット検索をして開いている情報を元に行ったが、パッケージ屋がクローズ。面白い場所であるが、見たいものはもう特にないという事でここをでる。

次の目標は浅草橋。やや離れているが歩くことに。ただ、途中に食パンのペリカンのお店があるはずという事でネットで調べつつ行った。国際通り沿いを通り蔵前に向かったところで発見したが、改装中だった。今回連休が長いこともあり、改装中のお店が結構あった。残念。

浅草橋の革屋で安く販売しているという情報があり、そこに行って購入。

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大きいのがシエナというイタリアの牛革。まだ何を作るか構想はないがこれから思いを膨らまそうと思う。小さいのは女房が何やら思いを巡らせたヤギ革たち。今回のツアーの一つの目的だ。

ちょうどお昼だったので、この革屋のすぐ近くに洋食大吉というお店があり、そこに入った。赤白のチェックのテーブルクロス(ビニール)が敷いてあり、もう洋食屋。

ジャンボメンチ定食を注文。来たメンチはデカく、既にソースがかかっている。

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肉汁がジューシーで絶妙に甘い自家製ソースがうまい。こんなおいしいメンチを初めて食べたといってよい。女房は、ハンバーグとエビフライのセット。この双方も実にうまい。メンチ定食は920円。価格も実に魅力。池波正太郎の本に取り上げられたことがあるということで、店の前にその本の実物が置いてあった。大吉の次のお店はうなぎの野田岩だった。革屋のついでに入った割には大当たりのお店でした。中は親子2世代や3世代、サラリーマンの人たちでほぼいっぱいでした。東京にこんなお店が残っているのだなと感心しました。

ここから、電車に乗り上野に向かう。

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もう一つの目的である東京国立博物館で行われている東寺展。写真は玄関ポスター。京都の東寺から空海が展開した密教につながる曼荼羅や具象化した立体曼荼羅という仏像群がここにきているという事でテレビ番組でも取り上げられていたものだ。チケット購入に20分、入場に10分程度ならんだ。もちろんこの時には筒状に丸めた革が1mくらいあり、面倒な状態であった。係りの人にこれをどこかにおけますかという問いを何度か発し、OKという返事を聞いていた。実際チケットを持って入場し、インフォで快く預かってくれて番号札をくれた。コインロッカーはお金がかかる(後返金かもしれない)が、ここは無償なのねと思った。もちろん乳母車なんて人もいるしね。

展示には、空海遣唐使として中国に難波の末、苦労して中国に渡って中国密教を2年間で取得してという昔の教科書で聞いたような内容で始まって大日如来曼荼羅という難しい事が並ぶ。最後に仏像が登場。

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これが帝釈天騎象像、国宝。中で唯一写真が許されたもの。これが839年の作で東寺に行くとみられるもの。なんと美男子なんだ。加えて象に乗っているかというのが面白い。こんな1200年前のものがこういう形で現存しているのが不思議だし、ここで見られるのが有難い。こんなのが目白押し。よくこんな微妙な像を京都から運んできたな。日通凄いとしか言いようがない。東寺も良くGOを出したものだ。これがガラスケース越しでなく、触れない距離ではあるが直にみられる。会場で話している人がいたが、東寺に行ってもこんな真後ろからの様子なんて見られないしね、と。展示物を見ると曼荼羅絵のような絵は1200ねんという年月の中で痛みが多いのは確か。でも仏像は修復が入っているのかはわからないが、良い形でここにきている。今年に入ってからの天皇陛下の言葉にあった「自らが務めを果たせたのは国民の民度のお陰」に通じる面があるのだろう。これだけ長きに渡り残った一つの理由なのだろう。Cool Japanの1面かもしれない。東寺展なんて日本人にとっても結構渋いテーマではあるが、日本人以外の来場者も結構多いのも興味深かった。

ここまで来て、4時半過ぎ。もうだいぶ疲れた状態だったが、閉館は5時ということで残りの時間は常設展を見ようという事で急いで回る事にした。この時期のお節句に合わせた浮世絵の展示があった。もちろん、江戸時代の北斎などのもの。

東京国立博物館は、上野の中でも別格だと思うが日本を理解する素晴らしい施設だと思う。もっと日本人も行くべきだろう。ちなみにここは、明治14年に上野で行われた第2回内国勧業博覧会の展示会場として出てきたもの。それが残っているのも不思議なくらい。加えて上野動物園はこの翌年にできたもの。

ここから、小田急線に乗ってホームタウンまで戻り、焼き鳥屋でビールを飲みながら、本日の東京散歩の反省会を行いました。

 

朧月夜が表わす世界

暖かい日だったのでジョギングに出かける。

川に沿って菜の花がまだまだ賑わっている。

そうすると、朧月夜が浮かんでくる。

童謡の朧月夜の歌詞を示す。

菜の花畠(ばたけ)に 入り日薄れ
見わたす山の端(は) 霞(かすみ)ふかし
春風そよふく 空を見れば
夕月(ゆうづき)かかりて におい淡(あわ)し

里わの火影(ほかげ)も 森の色も
田中の小路(こみち)を たどる人も
蛙(かわず)のなくねも かねの音も
さながら霞(かす)める 朧(おぼろ)月夜

一番の構成は、それぞれの節が形容詞や動詞(つまり用言)になっていて、日没の様子が時間の流れに沿って変化するさまを動画の如くに感じる。

一方、2番は、どれも名詞+も(つまり体言)が併記され、あれもこれもどれもがさながらかすめられる要素群になっている。これだと、暗くなった時の様子が一枚の写真にパッシっと収められた感じがする。そこには、光も色でけでなく、音までも含まれているのが面白い。

この1番と2番の表現の差がとても見事だ。

実をいうと、菜の花を見て、1番は走っている中で、朧気ながら口ずさむことができたが、歌詞はいい加減しか覚えていない事がわかり、ネットで調べて、この曲が面白いなと思うようになった。2番はその時にその時に初めてしった。1番は動画的流れの中で動きとして覚えるが、2番は色々なものが登場しすぎて、なかなか覚えられなかったのがまた面白く。

加えて、ネット情報だが、2番に登場のものは、「木・火・土・金・水」に相当し、中国の万物は5元素からできているという五行説に沿っているのではないかと。つまり木(森の色)・火(里わの火影(家の中の火、明かり))・土(田なか小道)・金(鐘の音)・水(田、かわず)にそれぞれ対応する。それを意識して作ったか、偶然の産物かは未知のようだ。ただ、それぞれの要素が2番の中に含まれているのは納得せざるを得ない。見事にワンショットに入っている。そして、私の今日のジョギングコースは、川、田んぼ道、山里、牛、山の上のお寺を含んでいる。ここには、この歌の光景要素が含まれているから、猶更面白い。残念ながら昼間なので、朧月夜の要素はないが。

この曲は、作詞高野辰之、作曲岡野貞一で大正時代の曲。「春が来た」もこのコンビによる作品。二人とも今の東京芸術大学の教授。確かにいい感性をしている。

一方で令和の登場で、万葉集も皇室メンバーの和歌も良く紹介される。これが日本語の原点で、日本語として一番美しい表現という事になるのだろう。ただ、私にとっては、原文を読んだだけでその深層が読み取れるなんて事は稀であり、そこに併記されている解釈を読んで雰囲気を感じる程度だ。でも、今時、朧月夜に関する記載に興味持ってくれる人がいるのか不安ではあるが、うるわしく和する事ができれば意義あることと思っている。