革エプロンおやじ

おやじのポケットの中身を紹介していこう!

皆さん、こんにちは。革エプロンおやじです。

還暦を迎えたおやじのポケットの中身を紹介して行きます

男性目線からの生活の楽しみ方になりますが、女性ブロガーも歓迎です。

千鳥ヶ淵のソメイヨシノ風景の今後

この日は日比谷で18時に夕食を食べることが決まっていた。

よって早めに出て桜見物をしようという事で、JR四谷駅を下車して、外堀の土手を飯田橋に向かって歩くことにした。

桜が咲いている土手を歩くと暖かい日差しの中で気持ちの良い日だった。その中で小勢でお弁当を囲みながら食事している人たちがぽつりぽつりいる感じ。寒さの気候の中で偶然にこの時期まで生き延びた桜と好天に恵まれた人たちだけが特権のようにゆっくり楽しめる日であった。いずれも大宴会の様相はなく。時々通過する総武線と中央線が桜と共に見て楽しい。

f:id:pocketin:20190407233842j:plain

四谷の土手

それを受けて、市谷の当たりでスペイン料理屋があったはずという事で探し、意外と早い昼食となった。価格も手ごろで改めてもう一度使って見たいお店でした。大使館のアシストを受けている建物のようでした。

さて、ここから近いのは千鳥ヶ淵という事になり、歩いて向かう。途中、一番町の裏通りなど歩くと昔ながらのお屋敷を残す不思議なエリアであった。

このルートから大妻高校前を通過すると、千鳥ヶ淵の途中から入る事になる。四谷近辺も人はまばらなよりは人は多いが、ゆっくり写真が撮れるほどで、むしろ気楽でよかった。

f:id:pocketin:20190407223746j:plain

千鳥ヶ淵ソメイヨシノ

流石に皇居のお堀にせり出す桜は天下一品。風情がある。でもこの辺りでいろいろ見ていると心配になって来る。それが今回の本題。それぞれ木が大きく立派なのは確かであるが、一本の木でも満開の枝があれば、花も葉も何も付けていない枝も結構見受けられる。もう既に生を成していないように見える。木の太い幹に大きな空洞があり木全体に勢いを失っているものも見える。そう思ってみると皇居側の斜面に大きな桜が生えているが、50cm位の高さで伐採されているものもある。

ここで調べてみるとソメイヨシノの寿命は60年くらいという。千鳥ヶ淵に桜が整備されたのは、近くにある千鳥ヶ淵戦没者慰墓苑ができた頃という事だ。それは昭和34年だ。という事は今年で60年になる。なるほどソメイヨシノの寿命とちょうど一致するわけだ。それを思うと東京の桜の名勝の千鳥ヶ淵の桜とは言え、その寿命には打ち勝てないという事になる。

元号は変わろうしている時期に、今の様子を見るとあと数年すれば、例えば令和5年から10年ころには古木の多い光景から若い桜に置き換わっていくかもしれし、もうここが桜の名勝と呼べない事態になっていないかもしれない。昭和から平成の世までは継承された光景を見てきたが、令和になって光景が変わるかもしれない。この認識を得た上で、これからのこの場所の変化を今後ともここに来て自ら確認しきたいなと思う。

その後、田安門から北の丸公園に入っていった。ここからは反対側からの眺めになる。

ふと田安門の周囲にタンポポが咲いているのを見た。よく見ると西洋タンポポでなく、ここで見たのはどれも日本タンポポであった。前にも書いたことがあるが、タンポポの花の下のガクが花に沿うように上に伸び、茎の方に反り返るひげがないものだ。

f:id:pocketin:20190407230827j:plain

日本タンポポでしょ

これが観察されたのは田安門の橋の欄干の外側であり、人の踏み入る事ができないエリアである。そこに手を延ばして取った写真である。皇居でこういう場所には日本タンポポが自生し、西洋タンポポが見えない光景にとてもうれしくなった。

これが、北の丸公園内の人が入れるエリアになると西洋タンポポしか今回見る事ができなかった。

その後、日本公文書館に行った。

f:id:pocketin:20190407232721j:plain

小渕さんの平成文字

f:id:pocketin:20190407232814j:plain

令和記載の万葉集

ここには、平成になった時に小渕官房長官が持った平成の書の原本が置かれていました。

それと今回の令和のもとになった万葉集(左のページの2行名)も置かれていた。

私だけではなく、多くの人が結構写真を撮っていました。

ここから皇居内を大手門を抜け、18時に日比谷まで行きました。その頃はもうへトヘトでした。よく歩いた。