革エプロンおやじ

おやじのポケットの中身を紹介していこう!

皆さん、こんにちは。革エプロンおやじです。

還暦を迎えたおやじのポケットの中身を紹介して行きます

男性目線からの生活の楽しみ方になりますが、女性ブロガーも歓迎です。

松田山ガーデンパークからの眺めから及んだ鉄道歴史

先日、松田山ガーデンパークに行きました。

ちょっと前に御殿場に東名高速を通って行った時に松田近辺の山に花がきれいに咲いているところが見えたので、調べた上で行ってみる事になりました。川津桜が綺麗に咲いていて清々しく気持ちの良い日でした。西側には富士山も見えました。やはり富士山を見ると嬉しくなる。ここまで来ると大きく雄大

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松田山ガーデンパークからの富士山

松田山から南方向を見たのが下の写真。

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右側の酒匂川が走り、手前の東名高速道路が手前に見える。

酒匂川は、写真上方で相模湾に流れている。その下流右手にあるのが小田原方面。

酒匂川にかかる一番手前の橋が小田急線の鉄橋で、新松田駅につ。

一方で、左の山の右手から手前に延びている鉄道がJR松田駅のホームにつながっている。

とは言え、この写真からはなかなか分かり難い。私も帰ってきてからグーグルマップとこの写真を何度も見比べて分かった。その中でいろいろ見えてきたので書いて見ようと思う。

初めの印象は、小田急新松田駅とJR松田駅は近いようだけど離れているが、線路は写真でもクロスしている。双方の線は相容れないなと思っていた。実は違っていた。小田急線は新宿から小田原まで行く。でもロマンスカー富士山号は新宿発の御殿場行きであり、JR松田駅御殿場線に入り御殿場駅まで行くのだ。左からくるロマンスカー新松田駅に入ることなくJR松田駅に入るラインを持っている。調べると駆動電圧は1500Vで同一だが、架線の混線をしないように電力のデッドセクションをもっているようだ。管理元が異なるラインでの工夫が必要なようだ。

御殿場線は、東海道線国府津駅から沼津駅まで行く。御殿場を通り富士山の向こうをぐるりと回るコース。初めの写真の富士山の反対側を走るラインだ。ご存じの通り、2枚目の写真に映る東名高速御殿場線と並走したルートで沼津に抜ける。私の持っている何年か前の時刻表をみても昼間の御殿場線には1時間に1本しか走らないローカルなライン。寂しいねと思っていたが、・・・

御殿場線を調べてみると、さらに見えてきた。日本の初めての鉄道は、誰でも知っている通り新橋ー横浜間であり、1872年開通。次に計画されたのが東京ー大阪の鉄道。初めは長野県を通る中山道ルートが計画されたが、トンネル工事が難航し中止となり、海側の東海道ルートに修正された。1889年に東海道線が開通した。その時の東海道線は小田原を通らずに国府津から沼津を通るこのライン(全長60km)だった。富士山ー箱根ー伊豆に通じる山(構造帯、活断層)がネックだったからだった。このラインは、それを避けたのであった。

もちろん今は在来線も新幹線も小田原を通過する。これをブレイクスルーしたのが、熱海の先にある丹那トンネルであり、これができたのが1934年。鹿島が16年の難工事の末に完成。これ以降、国府津ー沼津間を御殿場線とした。よって、ここは、それまでの45年間は東海道線の花形ラインだったわけだ。

話は戻り、海側ラインに修正になる時に、東海道の城下町であった小田原住民は当然東海道線が小田原を通過するものと思っていた。東海道は小田原や箱根を通過するわけだし。それが通らないことが分かった時に1888年に作られたのが小田原馬車鉄道であり、国府津から箱根湯本間を結んだ。それが今の箱根登山鉄道になる。そして小田原急行鉄道会社が1927年新宿ー小田原間の鉄道を引いている。

そうすると丹那トンネルの功績は大きいな。鹿島は頑張った。

そんな事は知っているよという方も多いかもしれませんが、私にとっては楽しい復習でした。